2/23 県立決戦 特別視点 歴史

2019/02/22

挨拶

 3月6日 県立入試まで 後 11日。 決戦に備えて 会員たちは 毎日 4-6時間の学習を優希WINにいる時間だけで 積み重ねています。当日 最高の結果を出すため 全力を注ぎます。

〇 土地制度から学ぶ古代・中世 ー  天皇→貴族→武士 時代の流れを 土地をキーワードに理解する  ー 

 7世紀から8世紀にかけて日本の権力は天皇家が握っていました。天皇は日本のリーダーとして政治を行い その財源は 班田収授法に支えられ 租(お米) 庸(布) 調(地方の特産物)を農民に納めさせることで成り立っていました。

 しかし 農民は一生働いた上に 土地が手に入らず 税の他に兵役に苦しみ 逃げ出す農民が相次ぎました。8世紀は人口が増え続けた時期にあたりますが 新田の開発が進まず 食料自給が伸びず 天皇家は経済的に危機に陥ります。

 743年 天皇家は 今までの方針を180度転換し 墾田永年私財法を発表します。 貴族のトップであった藤原氏は 逃げ出した農民を集め 私有地を増やし続けました。この私有地は 後に荘園と呼ばれました。藤原氏の経済力は 天皇家をしのぎ 貴族の時代が到来しました。

藤原氏は荘園警備に武士を雇い 武士は天皇の一族が 姓を変え 天皇・貴族に仕えた源氏・平氏を中心に大きな武士団を創りました。やがて 源頼朝は 天皇の権威を利用し 征夷大将軍に任命され 天皇や貴族とは異なる政治を目指しました。

 鎌倉幕府が 各国に守護・地頭を派遣したことで 例えば 下野国(今の栃木県)は 天皇の部下である国司と幕府の家臣である守護 下野国の荘園では 貴族側の荘官と幕府側の地頭に寄る二重支配を受けることになりました。

 将軍と御家人の主従関係も  土地が媒介を果たしており 将軍が土地の保有を御家人に保障する代わりに 御家人は将軍に忠誠を誓い 奉公する仕組みでした。この御恩と奉公の関係は 元が日本に攻め入った際 鎌倉幕府が勝利しましたが 十分な恩賞を御家 人に与えられず 不満を招き 崩壊し そのことが原因で 鎌倉幕府は大きく弱体化したのです。

 土地制度から 日本史を見ると 権力の移行が見えてきます。 

 〇 世界は帝国主義から平和主義へ 経済不況の中 日本軍が暴走 

 1914年 ヨーロッパで勃発した第一次世界大戦は 白人同士が血で血を洗う戦闘を繰り広げ 1918年に終結した。翌1919年 フランスで ベルサイユ条約が結ばれた。力のある国が 弱小国を植民地化し 勢力を競う帝国主義の時代が終わり 世界は 軍縮による平和主義への転換しようと踏み出し その象徴として 世界初の国際平和機構 国際連盟がアメリカ大統領 ウィルソンの提唱で成立した。

 第一次世界大戦中 日本経済は好況を維持していましたが 1923年 関東大震災で 首都機能が麻痺した。 さらに1927年 金融恐慌で日本経済は失速し 1929年アメリカの株価が大暴落し 世界恐慌が起こると 日本経済は大混乱に陥った。アメリカは 公共事業をおこし ニューディール政策で 国内の経済を活性化し イギリスは植民地との貿易を推進し 諸外国の商品を締め出すブロック経済を打ち出した。

 しかし 国内資源に乏しい日本は  自国で経済活性化ができず さらに 1931年満州事変で 国際的な非難や制裁処置を受けた。日本は 犬養はじめ 政党政治家が 国際連盟の要求を受け入れ 満州を中国に返還し 世界との関係を改善することで 経済回復を進める案  軍が中国や東南アジアに軍を進め 資源を奪うことで経済回復を狙う案を持ち 対立。五・一五事件以後 軍が政権を握り 1933年には国際連盟を脱退すると 1937年日中戦争 1940年日独伊三国同盟 1941年太平洋戦争の道を歩んだ。

 なぜ 日本は 戦争への道を歩んだのか? 世界の流れと経済から読み解こう !


 BY ATSUSHI OHTANI