学生時代にモテるのは遊んでいるほうで、勉強を頑張っている人は「ガリ勉」とからかわれたり、ダサい人扱いをされがちです。
ただし、21世紀は「知恵の社会」です。
知恵こそがモノをいう社会です。
これからの世の中は、勉強をしてスキルを身につけることがいちばん重要視されるにちがいありません。
ですから勉強をしていることを恥ずかしく思うことなく、「私は勉強しています」と、まわりに堂々と公言してください。
では、人は勉強や何かを始める時にどのような心構えをしたらよいのでしょうか?
まず初めに、いつか~やってみたいは、永遠にやらないと同義語であると認識し、「面白いな」や「こんなことできたらいいな」と思ったならば、間髪入れずに始めてみましょう。
そして向いていなければやめようくらいの気持ちで、「とりあえずやってみる」の精神は何かを学びたい身につけたいと思う時とても大事な精神です。
ぜひ「いつか」という言葉を禁句にし、どんどんチャレンジしていきましょう。
次に、自分には向いていないまたは失敗すると恥ずかしいからとやる前からあきらめてしまう考え方を改めてみましょう。
やる前から向いているかなど誰にも分かりません。
また、失敗をマイナスと考えてしまうのは、物事を「短期」で見ているからです。
物事は絶対に「長期」で見るべきです。
なぜなら、長期で見れば失敗はマイナスどころかプラスに転じることさえ多々あります。
うまくいこうが失敗しようが何かに挑戦すればその経験は無駄にはならず、必ず自身の中に意味のあるものとして残り続けます。
最初から諦めてしまうのでは自分で自身のポテンシャルをつぶすことになってしまいます。
この失敗すると恥ずかしいからと考えてしまうことが顕著なことに、日本人の英語コンプレックスが挙げられます。
例えば、日本人に「泳ぐことは出来ますか?」と尋ねますと、「少しなら」や「25mくらいなら」と返答があります。
ただ、英語となると話は別で「英語を話せますか?」と尋ねますと、「まったく出来ません」と返答があります。
同じ質問を外国人にしてみますと「日本語話せるよ…sushi、 Tempura」と返答があり、単語をいくつか言うだけでも彼らは自信満々に、私は日本語が話せるよとアピ-ルをしてきます。
日本人の英語を完璧な文法で話さなければならない、間違えてはいけないと強く思うことが中高6年最低英語を学んだにも関わらず簡単な英語さえも話せない要因の一つです。
なお英語=かっこいいと考える風潮自体諸外国では見られない現象です。
使わざるを得ないため英語を話すツールにしか過ぎないため、かっこいいと思う概念はありません。
なお、間違えることは誰も気にはしませんし、言いたいことが伝われば多少の間違いはお咎めなしです。
そんな多くの日本人の抱える英語コンプレックスの例外と言える人物がいます。
それは飛ぶ鳥を落とす勢いのテレビで見ない日がないお笑い芸人出川哲郎さんです。
彼は、日テレ系日曜放送「世界の果てまでイッテQ」の名物企画「はじめてのおつかい」で、自身の知っている言葉で間違えることに臆せずミッションをクリアしていきます。
中学校1年で習う「図書館 library」さえ分からない中でも彼自身「私は英語がペラペラです」と自信たっぷりに断言するのです。
このように、失敗することを恐れ何もしないのではなく、果敢に攻めていくこの精神は何かを学ぶ、何かを身につける上で大事なことでしょう。
また年齢を理由に、何か新しいことにチャレンジすることをあきらめてしまう傾向が多く見られますが、年齢をやらない理由にせずいくつになってもチャレンジ精神を忘れずにいることも大切です。
そこで最後に、年齢を気にせずチャレンジし続けるパワフルな3人をご紹介します。
1 マクドナルド店員 日本最高齢93歳 週4夜勤勤務
全国のマクドナルド店舗約2900店の最高齢スタッフ薮田義光さん 働くことが好きそして同僚からは人は何歳からでも挑戦できるのだと感じさせ、大きな影響を与えています。体が動くうちはしっかり働きたいと真摯に仕事に向き合う姿勢に頭が下がります。
2 障壁にとらわれず、なんでも挑戦してみたらいい 86歳のファッションアイコン
秋田に住む元教師のシルバ-テツヤさん クリエイタ-として活躍する孫のクドウナオヤさんが自身の服を祖父に着せたら面白そうとの想いから始め、今では写真展や本が出版されるまでに人気のようです。ご本人も仰っておられますが、障壁にとらわれずなんでも挑戦するハングリー精神を見習いたいものです。
3 深夜の新宿に現る クールすぎるおばあちゃん 83歳現役DJ
日中は中華料理店で鍋を回し、夜はクラブでターンテ-ブルを回す岩室純子さん。主戦場は新宿歌舞伎町ですが、彼女の音楽活動はそこだけにとどまらず国内はもちろんのこと、パリやニュージーランドなど世界各地のクラブを飛び回っています。若い時分の夢(外国において何かをしたい)をあきらめず今なお追い続けている、私たちもいくつになっても追い続けられる夢を持ち続けたいものです。